以前は、お笑い系のテレビ番組を見てお腹を抱えて笑っている娘を見て「あーうるさいなぁ、どこがそんなに面白いねん。」とうんざりしてしまうことが多かったのですが、数年前から心が変わり大いに反省することになりました。

面白くないと決め付けているのは、自分が面白いと感じることができないだけであって、面白いと感じることの出来る人にとってはまぎれもなく面白いのです。

若者が面白いと感じることに反応できなくなったのは自分の事情であり多くの場合退化なのです。退化した自分の感覚や価値観のほうが正しいなどとどうして言いきることが出来るのでしょう。

ゴルフが好きで好きで仕方ないお父さんに向かって「もー、ゴルフなんて一体どこが面白いのよ!」などと言ってはいけません。自分がゴルフの面白さや楽しさを理解できていないだけなんですから。お父さんにはゴルフに馴染み大いにゴルフを楽しむことが出来る独自の能力があるのです。

若い頃には大いにときめいたことに対しても年齢を重ねたも今はもうときめくことが出来ません。大人になって成長したからではなく退化したんです。

何に対しても関心が持てなくなり興味も無くなり毎日繰り返すごく当たり前の日常生活でさえ面倒くさく感じてしまうのは明らかな老化現象です。何の対処もせずそのまま老けこんでしまいますと最後には三度の食事も億劫になり生きること全てが面倒くさいと感じるようになってしまうはずです。

頭の良い人は楽しむのが下手くそです。すぐに「バカみたい」と心を閉ざしてしまうし、人から誘われても「そんなバカらしいこと出来ない」と自分の行動に線引きしてしまうからです。

自分のプライドは大切にすべきだけれど、時と場合に応じて場の空気に自分を合わせてみる、そして自分から進んで周囲の人たちと目線を合わせてみることがおススメです。それはプライドを捨てるのではなく、いつまでも若々しく柔軟性を持って生きて行く為のテクニックだと思います。

自分の目線や価値観を絶対視して合わないものをバカにしたり差別したりする姿は少しもかっこいいモノではありません。幼児とお話しする時はしゃがんで幼児と同じ目線になって対等にやりとりするくらいの心の柔軟性を大切にしたいものです。