お釈迦様は生きていることは「苦」だとおっしゃったそうです。だから修行をして全てを手放し解脱しましょうということなのでしょう。きっとそうなのだろうと思うのですが、生きている限り行き着くところは「苦」なのだと考えると何だかがやるせないですね。

スピリチュアルな考え方の本の中には、生きることは「歓喜と至福」だと書いてある場合があります。言ってることはお釈迦様とは全く逆。でも、受け入れやすいです。歓喜と至福に到達出来るなら、よし頑張ってみようとも思える。

ただし現実問題として束の間の歓喜や束の間の至福感は体験できても、決して長続きはしない。それらは時間が経つとはかない夢のように消え去っていくのです。「移ろうものは幻に過ぎない。やはりお釈迦さんの言うことが正しいのか」と思う時だってあるでしょう。でも、行き着くところが「苦」なのだとすると嫌だなと思ってしまう。

昨日「平凡な一日に感謝できる人になりましょう」というお話を書きました。ぼんやりとしたタイトルですが、私はこの感覚が鍵になるのではと考えています。平凡な一日なんてつまらない。何かときめくような出来事が起こらないと自分は幸せじゃないなんて思っていたなら、自分にとって本当に大切なものを見逃すのです。

素敵な恋人が出来たなら「歓喜と至福」、宝くじの一等賞に当たったら「歓喜と至福」、大勢の異性からモテモテになったなら「歓喜と至福」だと思っている人もいるだろうけど、私たちの魂が求める「永遠」にはそうした条件付けなど存在しないはずです。

いつもと変わらない今この瞬間に輝く人になれたならきっと何も必要ないのでしょう。それは一切の執着を手放し、何気ないこの瞬間にくつろぐことの出来る人に他なりません。人生は難しくも何とも無い。あれこれ難しく考えるから難しいだけなのです。



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