昔々、母にカーネーションの寄せ植えをプレゼントしたことがありました。数個の花はすでに開いていましたが、数え切れないほどのつぼみがついていて、この先、順に開いていくのだろうと思っていました。

その日、母は大いに喜びましたが、二週間ほど経って実家に行くと「花ってつぼみのまま枯れてしまうなんてこともあるんやねぇ。」と寂しそうにポツンと語りました。

カーネーション

よく話を聞いてみると、プレゼントのカーネーションはしばらくの間はきれいに咲いていたが、やがて萎れ始めた。その後、つぼみが花開くものがいくつかはあったけれど、花咲くことなくつぼみの状態のまま枯れてしまったものが圧倒的に多くあったそうです。

きちんと世話をしていたにもかかわらず、つぼみのまま花開くことなく枯れるなんてことがあることを初めて知りました。美しい花として咲く為の情報遺伝子は何もかもすべて備えていたはずのカーネーションのつぼみ。しかし、花としての一大イベントである開花には繋がらなかったのです。

「人だって同じなんだろうな」とその時思いました。無限の可能性を秘めながら、そのほとんどをベールで覆い隠したまま生を終えることになる人生。「それが定めならそれでいいのかも」と思う反面、「何か一つのきっかけさえあればきっと開花することになるはずだ」とも思いました。

可能性の扉を開く為、あれこれと数回チャレンジしたがダメだったとしましょう。「もうダメ」ってあきらめるべきでしょうか?心を切り替え、あと一回チャレンジしたら花開くことになっていたなんて事例が本当にたくさんあります。スタートからゴールまで息絶え絶えになって頑張ることではありません。果敢に挑戦し一つのきっかけをつかむことなんです。

「たかが一つのきっかけじゃないか。それが一体何になる?」って思われるでしょうね。的を得た一つの衝撃で体内スイッチが突然ONになるその瞬間。私は神様から光の鍵を受け取ることなのだと思っています。


バナートップ430
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