「諸法無我(しょほうむが)」という古い言葉があります。きっと中国から渡ってきた四文字熟語だと思います。本で読んだり、言葉として何度か聞いたことがあるのではありませんか?物事は変化していくが変化する主体は存在しないという意味です。わかったようであまりよくわかりませんね。

そもそも、この言葉はお釈迦様が苦行を乗り越え全てを捨て去り悟りが訪れ、そこで初めて気付かれたことであって、特別の修行者でもない一般人の私たちが「そうそう。その通り〜。」なんて無条件に理解するほうが不自然。何のことなのかよくわからなくて当たり前なのです。

「あなたは無い。」などといわれて「そうだ。その通りだ。」などと本当に思いますか?もし無理やりそう思ったとしても「その通りだ。」などと思っているのは一体誰なんです?説明通りに解釈すると、あなたの実体は存在しないはずなのに、存在しないあなたが「そうだ。その通りだ。」と思っているのでしょうか。

日常生活の中で「諸法無我です。」と胸を張って語っている人は全てお釈迦様と同じ境地に至った人でしょうか?私はどうも違うように思うのです。知識はどこまで行っても活字的な記憶にすぎません。頭だけの記憶は不要な思い込みや固定観念につながることもあり、いろんな場面で邪魔になります。知るということは立体的に共振し認識に至ることです。1/10でも良いし1/100でも良いから自分の体験を通して実感してみたいといつも考えています。

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