3Kという言葉が有ります。仕事が「きつい」 「汚い」 「危険」という職場環境を意味します。21世紀に入って、新3Kというのも出来たそうですね。「きつい」 「帰れない」 「給料が安い」の3つだそうです。

昔、複数のメンバーである会社を見学に行きました。懇親会のスピーチで、社長さんは開口一番「わが社は3Kです。」とおっしゃいました。何だろうと思ってよく話をお聞きすると、そこの会社の経営理念が3Kだったのです。しかしその3Kの意味とは、謙虚・けなげ・けじめを大切にするといった説明でした。企業業績も立派でしたし、当時は私も同じ経営者の立場として見ていましたから、すばらしいと思いました。

でも、今改めて考えると社員さんたちを良い子の金太郎飴にする為の心理的な統制であったような気がします。大和撫子(やまとなでしこ)という言葉の響きも連想します。長く続いた古き日本のしきたり。女性は「あなたは女の子に生まれたのだから大和撫子として生きるのです。」などと言われ育ったのでしょう。当時の社会風潮が問答無用でそうだったのです。男性優位の社会秩序を守るために、女性に対しては、清楚に慎ましやかで、常に一歩引いて男性を立て、奥ゆかしさをもって献身的に男性に尽くす姿や生き様を美徳であるとして押し付け、人々はそのことを正しいことだと信じていました。

理想とされる姿を実現する為に、自分を抑える生き方の賛否については、意見が分かれると思いますが、生まれながらに徹底して教育されたり、強い権力によって統制された人たちは、無条件で染まって行くことになります。謙虚に生きることは大切です。でも、過剰に自分を押さえつける生き方を意識すると、やがて劣等感や自己否定や罪意識へとつながります。日本人の遺伝子には少なからずこの要素が強く刻み込まれているように思うのです。

「つまらない物ですが。」と言って贈り物をします。「至らぬ者ですが。」と言って自己紹介をする。これが日本人ならではの美徳なのでしょうね。文章を書きながら、私がまだ20代後半の頃、ある年配の女性に「つまらない物ですが。」と言ってプレゼントを渡そうとした時、「つまらないものなら要らないよ。」と受け取りを拒絶されたのを思い出しました。若かったので反射的にこのヤローって思いましたね。俗に言う意地悪おばさんです。その時以来、会っていないけど、ぜひ今もどこかで元気に生きていて欲しいです。今ならなら仲良く笑ってお話しが出来るかもしれません。

劣等感や自己否定や罪意識を形成するのが日本人らしさなのかもしれないけど、それは自分の内側にある潜在能力や無限の可能性に鍵をかける行為でもあると考えます。謙虚さが無いのもダメだけど、行き過ぎるのもどうかと思うのです。

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