昨日の日記には受け取ることの意味について書きました。素直に受け取ることを躊躇する思いが働くのです。それは物に対しても他人からの親切な行為に対しても、そしてあなたのことを褒める言葉に対しても同様です。ウィリアム・レーネンさんもクライアントさんとの会話の中で言葉にして語られています。「どうしてあなたは受けとらないのですか?」「サンキューって笑顔で受け取ればよいのですよ。」
時々自分の姿勢を振り返ってみましょう。
今日は全く逆の「エネルギーを放出すること」について考えてみます。登山やマラソンなどではエネルギー配分を考えないと息切れしてしまいます。人生だって無謀に走りすぎると失敗することがある。しかし、だからといって自分のエネルギーを小出しにする生き方に徹するべきだとはならないと考えます。常にちびちびとケチってエネルギーを使う生き方を続けると、エネルギー的な糞詰まりになってしまうことがあります。
10日間ウンコがほとんど出なかった便秘のお姉さんみたいなものです。豪華なディナーに招待されてもお腹がいっぱいで何も食べれません。すきっと空っぽになってこそ、美味しい料理も楽しくたっぷり食べられる。これだって呼吸で考えるとわかりやすいですよ。肺の中が空っぽになるまで完全に息を吐ききってこそ、思いっきり新鮮な空気を胸いっぱいに吸う事が出来ます。息を吐くのがもったいないなどとチビって少ししか吐かなでいると、少ししか吸い込めません。
献血だってそうでしょ?積極的に献血をすれば体内でどんどんフレッシュな血液が作り出されます。ノートパソコンのバッテリーも中途半端に使って充電を繰り返すと寿命が短いらしい。時々、完全に使い切って空っぽにしてから完全充電をすると良いらしいですよ。
愛のエネルギー、感謝のエネルギーなどは、ケチらずに力尽きて倒れるまで放出してもよいのです。生命エネルギーだってお金だって思い切って使う時には使ってみる。そうすると身体の中に吸引力を持つ真空状態の環境が発生します。放出したものと同質のエネルギーが跳ね返って自分に戻ってくるのが宇宙の法則。空っぽで真空状態となった自分を周りから押し寄せる新鮮なエネルギーが満たしてくれることになるでしょう。こうして継続したエネルギーの循環は円滑に進み行くことになります。
受け取ることと同じく、愛情・感謝を最大限放出すること、表現することって、私にとってはものすごく苦手なことです。気恥ずかしさとやっぱり「どうせ返ってこない」ということを考えてしまってるんだと思います。期待してはいけないとおもいつつ・・・。
少しずつでも受け取る、放出するということができるようになればと思います。