「無限」という言葉を聞きますと、果てしなく広がる宇宙を連想します。しかし人は無限という際限の無い広がりすべてを認識することは出来ません。大空を指差して「これが無限です。」と興奮して叫んでも、指差したり「これ」と表現した時点で、無限では無く、ただの限定を指し示したに過ぎないのです。

無限って、自分の外側に広がる際限の無い広がりのことだと思うでしょ?私も子供の頃からずっとそう思ってきました。しかし、長崎で不思議な男性からあの体験談を聞いた日から、私の中では大きく音を立てながら様々な認識が変化し始めたのです。(詳しくは9月8日に書きました旅先で聞いた不思議体験を参照ください。)

私の中では新しい解釈が広がりました。無限とは外側の世界を指すのではなく、その正体は、人の胸の中心に存在する素粒子より小さなスーパー無限マイクロチップのようなものなのではないかという仮説。そして、人の外側に広がる五感で認識できる世界は胸の中心(=無限)から投影された限定の世界であるという考え方です。そう捉えますと、今まで理解の出来なかったことにも意味を見つけ出すことが出来るし、無関係だと分離していたあらゆることも全部繋がるのです。

不意に起こったアクシデント。他人から意地悪をされた嫌な思い。愛する人との悲しい別れ。それらがすべて自己の胸の中心から投影されたものだとしたならどうでしょう。不運を嘆き、人を憎むことなどは全く筋違いになってきます。あらゆる出来事の何もかもすべてを自分が作り出し引き起こしているのですから。

無とは何も存在しない悟りの境地を意味します。ただほのかにライトアップされた無音無風の無限の空間だけが広がる。そうした超クリーンなステージに数え切れないほどの雑多な珍現象を所狭しと投影して、一喜一憂し大騒ぎしているのが人々の姿なのではないだろうかと考えます。こうして文章で書きますと「人間ってただのアホやん。」となってしまいますが、私は逆に「面白い!」って感じましたね。「よくぞ人として生まれたものだ。折角のチャンスなんだから色んな体験をしてやろう。」というのが、私の考え方です。

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