私は長い間、気や気脈について追求してきました。気と気脈ってどう違うのだろうと思われましたか?気は古くから使われてきた中国哲学の用語で、説明を書きますとうんざりするほどの長文になるから省略です。気脈は気の流れや繋がりのことを指します。

長年追求したなどと偉そうに書きましたが、文献や学説を徹底研究したのではなく、気や気脈という目に見えないエネルギーを直接自分の肌身で感じてみるという原始的な単純行為を飽きもせず延々とやってきたのです。

長らく同じことをやっていますと、最初は「ほー こんな感じなのか。なるほど、なるほど。」だったものが「待てよ。この振動はひょっとして何かを意味しているのではないだろうか?」と思い始めます。そして、それは次第に「こういう意味を表しているのではないだろうか。」という仮説へと変化し、やがて「きっと、こうに違いない。」といった信念みたいなものになります。

この気付きに数ヶ月とか数年とか場合によっては10年以上かかる場合があるのです。そして「何だ、そうだったのか。」と気付く内容は、そのほとんどが、子供の頃から既に知っていたことや、言葉にすると屁みたいなものばかりです。しかし、馬鹿らしいとは思いませんでした。発見があるたびに、そして謎が解き明かされるたびに何ともいえない感動があった為です。

なかなか理解するのが難しい難解な理論に価値があって、誰でも知っている簡単なことは無価値でしょうか?私は、むしろその逆だと思っています。私たちの魂の求めている答えやキーワードは、遠い宇宙の彼方にあるのではなく、身近な日常的な行為の中にあったり、子供の頃から慣れ親しんでいる簡単な言葉や言い回しの中にあるに違いないと確信しています。

例えば気脈カウンセリングの中で、「閉じているまぶたを開けば見えますよ。」「鼻をつまんでいる手を離せば匂いがわかりますよ。」「両耳を押さえつけている手を離せばもっと聞こえるようになりますよ。」みたいな簡単な意味のことをお話しすることがあります。

「そんなの言われなくてもわかってるよ。アホか。」と思う方もいらっしゃることでしょう。しかし「「閉じているまぶたを開く」「鼻をつまんでいる手を離す」「両耳を押さえつけている手を離す」という一番簡単な答えが思いつかず、「見えない」「匂わない」「聞こえない」と思い込んでいる場合が意外と多いのです。

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