長患いの父の病は一向に改善せず病院のベッドで寝たきりになり、最後は気管切開をしての人工呼吸と何種類もの点滴という状態になりました。点滴が抜けないように、また、何かの拍子に人工呼吸の管が喉の差込口から外れないように家族の誰かが付き添わねばならず、母が24時間の泊り込み介護にずっと就いていました。入院が長期にわたったため、私も毎日出来る限りの応援をしましたが、自分の生活もありましたし続けて病院へ泊り込むことは来ません。病状は重く、回復の見込みは全くありませんでした。

私は父のことより看病する母の身体が心配でした。週に2度ほどしか身体を横にすることのできない出来ない母の疲労は大変なものだったはずですが、「私は元気だから大丈夫よ。」といつも明るく気丈に振舞っていました。そうした日々が長らく続いたある日、ついに父は帰らぬ人となりました。

既に予期していた父の死。父の魂は使い古してボロボロとなった不自由な身体から開放され旅立つことを決心したのだからこれでよかったのだと思うと同時に、何年もの間、身を粉にして介護を続けた母も役目を終え、ようやくこれで楽になれるのだと思ったのですが、何の何の・・・。

父の死をあれほどまでに嘆き悲しむことになる母の姿を全く想像できませんでした。「お父さん お父さん・・・。どうして、こんなに早く死んでしまったの・・・。」と身体を震わせて人目をはばからず泣き崩れる母。若い頃からどんなに辛くてもほとんど涙を見せない気丈だった母でした。その思いがけない光景は胸に突き刺さりました。どんな慰めにも心は動かず、母は、まるで弱々しい少女のような悲しい声をあげていつまでも泣き続けました。

月日が経っても母の悲しみは継続しました。亡くなった父を思い出すたびに涙を流し、まるで自分の身体を引き裂かれたかのような落胆振りでした。食欲も衰え、頬はこけ、背も丸くなり母の表情から笑顔は消え去りました。母にとって父の存在が如何に大きなものだったのか思い知りました。私には父が亡くなったことより、悲しむ母の姿を見ることのほうが10倍辛かった。人はここまで深い悲しみに落ち込むものなのかと初めて認識しました。

「私が死んで今度生まれ変わった時、またお父さんとどこかで会えるかしらか?」 「お父さんは空の向こうからこっちのこと、見てるのかなぁ?」 ある日、母は元気なく私に語りかけました。父の意識は常に母と共にあることと、来世でもきっと二人は出会うだろうといったことを伝えますと、うなずきながら少しだけホッとした表情になるのがわかります。母の悲しみがほんの少しでも軽くなるのなら、何でもしたいと心の底から思いました。そうした母も、父が亡くなって1年ほど後にあとを追うようにしてこの世を去ることになります。

短い期間に両親を亡くした私は心の中で手を合わせました。「どうぞこちらを振り返る事無く前を見つめ次のステージへ進んでください。」両親と共に生きた今までの時間は過ぎ去った過去です。この世での生を終え、既に肉体を離れた両親の魂に空から私たちを見守って欲しいなどとは全く思いません。この世のことはもうよいから自分のことだけを考えてもらいたいと願いました。増してや、いつまでもこの世に、そして自分たちのそばに魂のままでよいから留まっていて欲しいなどと言うのは論外です。この世を後にしたはずなのに、魂がいつまでもこの世に思いを残し留まり続けるとするなら、それは成仏ではなく自縛霊の世界ですよ。

すでに旅立ちを決心した魂は振りかえる事無く次のステージへ進むべきだというのが私の考えです。そして再び新たな肉体に宿り新しい生を歩むことになるのでしょう。この世を旅立った全ての魂の悩み苦しみが無くなりますように。この世を旅立った全ての魂が明るい未来に転生できますように。アミターバ


矢印下 矢印下
人気ブログランキングへ    
  ありがとうございます  
    ありがとうございます