昨夜「問われる日本人の“言語力”」という特集番組を見ました。 普段何気なく思っていたことが明確な検証の基に語られていたので興味深く見入ってしまいました。
母親に向って「ジュース」としか言わない子供。これって多いですね。
「ジュースがどうしたの?」
「飲みたい。」
「なぜ、飲みたいの?」
「喉が渇いたから・・・。」
子供の答えをつなぎ合わせるとようやく他者に理解できる言語になる。
「お母さん、ボク喉が渇いたよ。だからジュースが飲みたいんだ。」
大人になってもこの傾向は変わりません。教育現場や企業など様々な現場で「話し言葉をそのまま作文に書く中学生」、「面接で想定外の質問をされると答えられない学生」、「営業報告書がまともに書けない若手社員」が相次ぎ、言語力の低下が進んでいるらしい。
道行く人にインタビューが試みられました。「あなたは日本のどういったところが好きですか?」と質問が為されます。ただし「答えは単語だけの箇条書きの棒読みじゃなくて、なぜ好きなのかといった理由も加えて繋がった言葉にして答えてください。」という注文をつけます。
サラリーマン風の中年男性も「改まってそう質問されると答えられないものですね。」と頭をかきながらモジモジ。若い男性は「好きなところといえば、食べ物。日本料理。それと風景。かな?」みたいな答えで、リクエストされた繋がった言葉にはなっていないのです。
言語力の低下。原因として考えられているのは、携帯メールの普及などで社会全体の会話量が減り、論理的に話す訓練が足りないことや、センター入試の影響で「書く」「話す」ことが教育現場で軽視されたことなどなどだそうです。確かに起承転結を順序良く整理し誰にでも理解しやすく語るとか文章を書くのは難しいですね。若い人も苦手でしょうけど、歳取ったお父さんだって若い人に負けないくらいに苦手です。
あと、日本独特の「あうんの呼吸」を大切にする風習が原因になっていると考えられるそうです。「あうんの呼吸」とは二人以上で何かひとつのことをする時、多くを語らず物事を為すタイミングなどがピタリと合うことや気持ちが一致している関係のことを言います。共同作業する人たちはほとんど言葉を交わさずに絶妙のタイミングで作業が進んでいきます。
日常生活を振り返ってみました。「いちいち言葉にしなくてもオレの言いたいことくらい分かれよ。」というのが亭主関白の言い分。しかし奥さんに対しては「言いたいことがあるならちゃんと言葉にして話さないとわからないだろ?」と不満を持ちます。これはどう考えても自分勝手な理論ですね。
至れり尽くせりで子供に構うお母さんを見ることがあります。世話を焼き過ぎるのです。
「太郎ちゃん あなたお腹空いてるんでしょ?白いご飯食べる?それともパン?菓子パンもあるけどサンドイッチが好きでしょ?そうそう、それがいいわね。ハムサンドとタマゴサンド両方食べるでしょ。あら?タマゴサンド一つでいいの?それだけだと元気でないわよ。タマゴサンドだけなら三つくらい食べれるでしょ?飲み物は冷たいウーロン茶よね。あ、ちょっと待ってね。すぐにストローも持ってくるからね。そのほうが飲みやすいでしょ?デザートはロールケーキよりアイスがいいよね?そうそう、大好きなイチゴをトッピングしようね。」
太郎ちゃんのお母さんは一人でしゃべっています。子供はひと言も語らず無表情でただ頭を縦に振るか横に振るしかしません。可愛くて放っておけないのはわかりますけどね。その子がこれからどう成長していくのかが気がかりです。