明日香天翔の気脈診

気は脈打ち、自らその存在を知らしめるなり

2009年11月

仏様に花を飾らないとバチが当たるのはなぜ?

もう20年近く前になるでしょうか、蒼竜寺住職の公方俊良さんから直接お話を聞く機会がありました。その席上で「法事の時には仏壇の前に花を飾りますが、この世を後にした仏様のために飾るのではない。その場に居る人のために飾っているのです。」と断言されたのを覚えています。簡単に言いますと、仏壇付近に花を飾り思いを馳せるのは人間の勝手。この世を後にした仏様は(進化されたのだから)花は必要ないし、うれしくもなんとも無いのだということです。

「えー! 仏壇にはちゃんと花を飾ってお祈りしなきゃ、バチがあたるよ。」と思う人もいらしゃるでしょう。そして本当に良からぬことが起こる場合があります。花を飾らなかったと言う理由で罰が下る。一体誰が罰するのでしょう。亡くなった人(仏様)?ご先祖様?それとも神様?「えーい この不届き者め。成敗してくれるわ。」なんてことが起こったのでしょうか。違います。罰を下したのは他でもない自分自身です。

「私はすべきことを怠った。」という思いは罪意識となって潜在意識に蓄積される。ここで罪を犯した人間は罰を受けなければならない言う観念が無意識の中から発動し、そのエネルギーが自らを罰する出来事(アクシデントや怪我や体調不良など)を現実体験として引き起こすのだと想定します。

来年2月に東京で開催される気脈診ワークショップでは、人の心の奥に刻み込まれている感情エネルギーにスポットを当てて読み取るといった新しいメニューを用意しております。簡単な解読のコツを学んだ後、実際に目の前のモデルさんのエネルギーを読み取るロールプレーイングを体験して頂きます。また、それらのエネルギーに対してどう対応して行けばよいのかといった対処法についても考察してみたいと考えています。

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真っ暗な状態から一歩踏み出すには

感情に支配されている時は、大きな感情エネルギーの渦の中心に自分が居て簡単には抜け出せない状態です。強い衝動が沸き起こり、自分で自分をコントロールすることさえも困難になります。これに対し、感情を冷静に客観視出来ている時というのは、自分の掌の上に乗っている野球のボールくらいの大きさの感情エネルギーを表情も変えずに眺めている感じでしょうか。心に余裕があるのです。うまくいけば感情がそのままスーっと消えていくのを確認することもできます。この両者の差は想像以上に大きいと考えます。

「感情に支配されない為にはどうしたらよいの?」と思うわけですが、お釈迦様は多くの人々に「常に自分に気付いていることです。」と語られました。こういうお話をすると「アホか。そんなことでうまくいくのだったら苦労しないよ。」と思う人も多いはずです。でも、こうした体験に基づいた教えは、何千年もの間、人々に支持され受け継がれてきたものですから、すぐには理解できなくても、必ずや奥深く大切な意味が隠されているのです。石頭みたいなこと言ってないで、便利に利用したらよいのではないでしょうか。

無明(むみょう)という言葉をよく耳にします。辞書で調べますと、「迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態。」と書かれています。簡単に言うと、真実が見えない暗闇の状態に居ることなのだと思います。その状態から脱する為に「常に自分に気付いている」という要素が外せないわけです。

気脈診のワークショップの中でも、心を静めて「自分に気付く」「自分を見る」という練習を繰り返し行います。それにより、無明の暗闇から一歩踏み出すのが目的です。目がくらむような明るい光の世界へ一気にワープしましょうなどという大それた思いはありません。一歩踏み出すだけです。しかしそれは大きな一歩だと考えます。暗闇から一歩踏み出すとそこは薄明かり。薄明かりの中で見えてくるものが必ずあるのですよ。

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「許す」と「赦す」 の違い

瞑想指導の第一人者であるT先生がダンマトークのDVDの中でおっしゃっていました。「許す」と「赦す」 発音すると、どちらも同じ「ゆるす」なのだけど言葉から受け取る響きが違うという内容。「許す」は許可するとか認めるという響き。それに対して「赦す」は罪を免じるとか、手放すとか開放すると言う響きなのだそうです。「許す」は[allow]とか[pardon]とか[excuse]って感じで、「赦す」が「forgive」なのだろうと個人的に思いました。

ひよっとしてと思って、知人から貰ったホ・オポノポノという題名の小冊子を開いて確認してみました。「許してください (Please forgive me)」と書かれている。今日のテーマからすると、この部分は「許してください。」じゃなくて「赦してください。」になります。

何をごちゃごちゃ言ってるんだ。そんなのどちらでも良いじゃないかと思う人も居るでしょう。でも、とても大切なポイントがここにあります。心の中にある怒りや憎しみの感情。頑固なまでに心の底に食い込み、いつまでも消え去ることのないこの厄介なエネルギーとお別れするには、「赦す=forgive」といった行為が必要です。慈悲の思いに満ち罪を免じることによって、手放しと開放が起こります。形式的な「許す=allow」ではダメなのです。

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相手から感じるものは、自分の内側の投影?

自分の目の前に居る人から、なんとも言えない寂しさを感じ、胸が痛くなることがあります。でもそれは、自分の内側にある寂しさが目の前の人に写って見えているのかもしれません。

目の前の人から、やるせない悲しみを感じ、気の毒に思うことがあります。でもそれは、自分の内側にある悲しみが目の前の人に写って見えているのかもしれません。

目の前の人から、押さえようのない怒りの思いを感じ、やりきれなく感じることがあります。でもそれは、自分の内側にある怒りの思いが目の前の人に写って見えているのかもしれません。

私たちの心の中には「まさか!」と思う感情が閉じ込められているものです。自分を癒すことの出来るのは自分しかいません。また、様々な感情をいつまでも持ち続けるのか、直ちに手放すのかを決めるのも自分です。

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時には目を閉じて感じてみましょう

以前、盲目の詩人の話を書いたことがあります。ある日、事故によって突然目が見えなくなった一人の青年。我が身の悲運を嘆き自暴自棄になるものの、やがて、自分が目が見えなくなったからこそ初めて見えるものがあることに気づき、今の自分の状況に感謝する日々が始まるといった内容です。

私たちは一体どれだけ目から入る情報に支配され生きているのでしょう。朝、洗面所で鏡に映る自分の顔を見て「よし! まだまだ捨てたものじゃない。」とか「ずいぶんシワ増えたなぁ。終りやなぁ。」なんて思って一喜一憂。出会う相手に対しても見た目が優先します。イケメンで服装のセンスも良くて、おしゃれな振る舞いの人に出会うと、話しをする前から心がときめきます。

でも、もし目が見えなかったなら、そんなの全く関係なくなります。今まで持ち続けてきた価値観が入れ替わってしまうのでしょうね。もし目が見えなかったなら、目で受け取ってきた今までの認識や価値観は意味を持ちません。流行の洋服やブランドのバックや装飾品に惹かれることもなくなるでしょうし、自分や相手の顔やスタイルなんてどうであっても良くなります。そして、今まで気付かなかったり、無価値だと思って気に留めていなかったものに心は向うことになるでしょう。

美しい花がやがて枯れ果て散っていくように全ては変化し移り変わります。お釈迦様は「移ろうものに価値を求め生きるのは虚しいことですよ。」とおっしゃったそうです。そうした教えに対しても頭では何となく分かるのですが、長年持ち続けてきた思いはそう簡単には変化しません。逆に「自分の目で見て美しいものを美しいと思って何処が悪いんだ。」と反論したくなります。でも、その素敵だと感じる見た目の美しさが消え去ったならそこには何が残るのかということも冷静に受け止めなくてはなりません。時には目を閉じて、見た目に左右されない内側の価値を静かに感じてみてはいかがでしょう。

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ありのままの自分を受け入れましょう

気脈診ワークショップ1と2が、来年2月に東京で開かれることになりました。このワークでは、理論を覚えるのではなく、コツを身につけていただきます。目に見えないエネルギーに意識を集中して感じ取ることが必要なのですが、「よし。がんばって感じ取ってやるぞ。」とばかりに緊張してカチカチになってしまっては、なかなかうまくいきません。簡単なコツを掴み、集中して受け止めることによって、誰もがそうした微妙な感覚を感じる事が出来ます。自転車の構造や乗り方を机に座って堅苦しく勉強するより、いきなり乗ってみるほうがうまくいくのと似ています。

誰にでも簡単に出来る内容で順にワークを進めて行きますが、いつまでも自己否定の思いを手放せない人は苦戦する場合があります。せっかく自分に備わっている受信アンテナにプロテクトがかかってしまうからです。もしそうであっても、自分を責めてはいけません。「ああ情け無い。私は自己否定の思いがが外せないんだ。」などと自分を責める思いが、必要以上に潜在意識にインプットされますと負のエネルギーとして固化し新たな障害になるのです。ここで諦めるのは惜しい。そうした自分に気付き、あるがままの自分を受け入れることが出来たなら、いずれ必ずやプロテクトの壁は崩れ落ちることになります。このテーマについては当日もう少し詳しくお話しします。

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マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」

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見てきましたよ。マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」。この映画、泣いても笑っても今週の27日(金)でおしまいなのです。映画館で見れるのはラストチャンスかもしれません。放送作家の川上ともこさんが、先月末にご自分のブログにてこの映画を絶賛されていたので、注目はしていましたが、マイケルのことをそこまで好きだったわけでもなかったのと若い年代層の方々のハートを揺さぶる映画なのだろうという思いがあり、一歩引いていました。

しかし、最近、小説家の加治将一さんが、「THIS IS IT」を見て大いに感動し、マイケルのことを長い間誤解していてごめんなさいと謝りたいとまでブログで絶賛されていたのです。熟年のお父さんが見ても感動できるのなら私もぜひと思い立ち、速攻でネット予約をして見に行ってきました。

祭日だった為か客席はほぼ満席。観客は30代から40代の女性が多かったようです。さて、映画が始まりましたが映像の美しさやサウンドのリアルさにも大満足でした。ロンドンのO2アリーナで行われる予定だった幻のライブを別枠で見せてもらったようでした。

見事なまでにステージ全体に溶け合ったマイケルの歌と踊りは、透明の矢のようにスーッと胸を貫き、その瞬間に客席で見ている私たちも画面に映し出される華やかなステージエネルギーと同化し、まるで無重力になっているかのような錯覚に陥ります。私は若い頃、ロック系の歌手達のライブやTV放送などの裏方をしていた時期があり、パワフルなリハーサル風景とかの舞台裏の映像にも心はときめきました。映画が終了しエンディングミュージックと共に延々と字幕が流れますが、誰一人客席を立とうとしません。マイケルって完全燃焼して燃え尽きて地球を覆おう大気の中に微粒子となって分散してしまったんだなと改めて思いました。

Michael-Jackson


ビートルズを超えるGSが長年経っても現われないのと同様にマイケル・ジャクソンを超えるスーパースターはもう現われないかもしれませんね。音楽ファンにとってはとても惜しいことだったと思います。

映画を見て、家に帰り6月30日のブログで書いたマイケルの記事を今読み直してみて、私も加治さんと同じようにきっとマイケルを誤解していたのだろうなと感じました。何ヶ月が経ちますと、過去に書いたブログの内容などすっかり忘れてしまっています。今回見た映画と少し重なる部分がありますので再びご紹介します。点線以下は6/30記事からのコピペです。

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『僕は自分の振舞いについて多くの人たちに話した。それは、一つのこだわりに聞こえただろうけど、決して偏ったものではなく全体の凝縮なんだ。

独自の表現を大切にする為に、そうでないものを既存の形のままでは受け取らないことを選んだだけで、否定していた訳じゃない。すべてのバイブレーションは僕の表現の中に形を変え生きていたんだよ。

僕の歌から全く異なった意味を受け取ってくれてOK。それはあなたのハートとの共鳴だ。 もう悲しまないで。死はエンディングじゃなくて開放なのだから。 僕の魂は24時間、目を開いて、何かに特定することなく、いつも広く全体を感じていることを選んだようだ。何の問題もないよ。もうくたびれて眠る必要は無いんだからね。』

  

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ペプシも好きだ!

とんねるずの石橋貴明が、昔やっていたTVのコントの中で、今も心に残っているのがあります。真面目な顔をしてコーラのペットボトルを力強く前に差し出し「コーラはコーク。」と得意げに宣言します。セリフは少し違ったかもしれませんが恐らく矢沢永吉のCMの物まねパロディーだと思います。そして、ポーズを決めた1〜2秒後、自分が手に持って前に差し出したのがコカコーラではなくペプシコーラのボトルだと言うことに気付くのです。その「しまった!」という表情と動作も可笑しかったです。アッと思って少しうろたえた風な表情になるものの、思い直して再び正面に向って照れくさそうな顔をしながら「ペプシも好きだ!」って言い直すのです。ただの一人コントなんですけど、私はこういうノリって大好きです。思わず吹きだして笑ったのを覚えています。


また一方では、頑固なまでにこだわりを貫く人も好きです。「パン?そんなの西洋人の食い物じゃ。ワシは日本人なのだから米しか食わん!」みたいなユニークな人。強いて言うなら、そう言う頑固さがありながらも、他人のこだわりや信念を尊重できる人がいいですね。米しか食べないのはその人の勝手。パンが好きな人に対しては「そうか。あんたはパンが好きなんだね。」って笑って対応できる人です。


食べ物に対しては比較的柔軟な姿勢をとることが出来ますが、生き方や考え方となってくると、なかなかそうはいきません。自分の判断や考え方が正しいと言い張り、他人にまでその価値観や考え方を押し付ける人もいます。周りを見渡すと何人かいるではありませんか?自分が正しいのだから、自分に背く相手の意見や考え方は間違いだなどと自分勝手な決め付けが為されます。「和食が正しくて、洋食は悪だ。」みたいな強引な主張には無理があります。宗教だってそうでしょ?自分の信仰する宗教だけが正しいと言い張り、それ以外を否定する決め付けは、争いを招き、エスカレートすると戦争に発展することもあります。


人と人とが「私は正しい」と主張して譲らず、相手の言い分を否定し言い争うのを見かけることがあります。紳士的な話し合いではなく感情のぶつかり合いです。元をただせば「私は和食しか食べれない。しかし、あんたは洋食。」といった程度の違いの場合も多いはずですよ。頭を冷やして冷静になれば小さなことで言い争うなんて馬鹿らしいことだと気づくはずですなのですが、意地になってしまうと見えなくなってしまうのです。


常に自分が正しいなどと言い張る人もいるけど、それは大きな勘違いであり、思い上がりです。限られた情報や知識だけを元にした自己判断や価値観が、何を持っていつも絶対に正しいなどと言い切れるのでしょう。「しまった。私が手に持っているのはコークじゃなかった。」と気付いたなら、照れくさそうに頭をかきながら「ペプシも好きだ!」って言い直しましょうよ。争いは起こらないし、きっと好感度も大幅にアップするはずです。

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見逃してしまう落とし穴

いろんなことがうまく回り明るく幸せそうにしていると、周りから憎まれて意地悪されたり攻撃されるという環境で育った子供は、消極的で悲しそうな顔をして生きるようになります。いつも暗い顔をしてメソメソしているのは楽しくないけど、周りは声をかけてくれたり親切にしてくれるから、本人にはそのほうが生きやすいのです。

そうしたネガティブな生き方を良しとする思いは潜在意識に深く刻み込まれ、成人してもその癖は抜けません。ここで注意しなければならないのは、潜在意識に刻み込まれたそうした思い込みは、そのエネルギーに見合った現実を引き寄せ実現するという事実です。

実生活の中で、本当に辛いことや苦しいことが起こりますし、病気を引き寄せてしまいます。いつも暗い顔をしてメソメソしているのにふさわしい環境が整うのです。色んな苦しみが次々と押し寄せる人生に「なんて私は不幸なんだろう。」と嘆くことになりますが、そうした生き方を選び、引き寄せているのは他でもない自分自身です。

幸せそうにしていると、周りから憎まれて意地悪されるというのは、残念ながら成人してからでもありますよね。私たちがどう振舞うかを試されているのだと思います。消極的な対応で乗り越えますか?どうぞ悔いのない選択をなさってください。

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何事もほどほどに

3Kという言葉が有ります。仕事が「きつい」 「汚い」 「危険」という職場環境を意味します。21世紀に入って、新3Kというのも出来たそうですね。「きつい」 「帰れない」 「給料が安い」の3つだそうです。

昔、複数のメンバーである会社を見学に行きました。懇親会のスピーチで、社長さんは開口一番「わが社は3Kです。」とおっしゃいました。何だろうと思ってよく話をお聞きすると、そこの会社の経営理念が3Kだったのです。しかしその3Kの意味とは、謙虚・けなげ・けじめを大切にするといった説明でした。企業業績も立派でしたし、当時は私も同じ経営者の立場として見ていましたから、すばらしいと思いました。

でも、今改めて考えると社員さんたちを良い子の金太郎飴にする為の心理的な統制であったような気がします。大和撫子(やまとなでしこ)という言葉の響きも連想します。長く続いた古き日本のしきたり。女性は「あなたは女の子に生まれたのだから大和撫子として生きるのです。」などと言われ育ったのでしょう。当時の社会風潮が問答無用でそうだったのです。男性優位の社会秩序を守るために、女性に対しては、清楚に慎ましやかで、常に一歩引いて男性を立て、奥ゆかしさをもって献身的に男性に尽くす姿や生き様を美徳であるとして押し付け、人々はそのことを正しいことだと信じていました。

理想とされる姿を実現する為に、自分を抑える生き方の賛否については、意見が分かれると思いますが、生まれながらに徹底して教育されたり、強い権力によって統制された人たちは、無条件で染まって行くことになります。謙虚に生きることは大切です。でも、過剰に自分を押さえつける生き方を意識すると、やがて劣等感や自己否定や罪意識へとつながります。日本人の遺伝子には少なからずこの要素が強く刻み込まれているように思うのです。

「つまらない物ですが。」と言って贈り物をします。「至らぬ者ですが。」と言って自己紹介をする。これが日本人ならではの美徳なのでしょうね。文章を書きながら、私がまだ20代後半の頃、ある年配の女性に「つまらない物ですが。」と言ってプレゼントを渡そうとした時、「つまらないものなら要らないよ。」と受け取りを拒絶されたのを思い出しました。若かったので反射的にこのヤローって思いましたね。俗に言う意地悪おばさんです。その時以来、会っていないけど、ぜひ今もどこかで元気に生きていて欲しいです。今ならなら仲良く笑ってお話しが出来るかもしれません。

劣等感や自己否定や罪意識を形成するのが日本人らしさなのかもしれないけど、それは自分の内側にある潜在能力や無限の可能性に鍵をかける行為でもあると考えます。謙虚さが無いのもダメだけど、行き過ぎるのもどうかと思うのです。

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胸を張って生きよう

私たちはいつも周りを見ています。そして自分も周りと同じ考え方と意見を持ち、同じ行動を真似することで安心するのです。大きな流れとしては、多くの場合、学習塾へ通って進学して就職して結婚相手を見つけて結婚して子供が生まれて会社では着実に昇進して、ほどほどに貯金もしながらローンでマイホーム買ってとなるのでしょう。「まわりのみんなと同じだから安心」とは「まわりのみんなと同じじゃなければ不安」ということです。

安心が無ければ幸せなどないと考えるのなら、そのまま胸を張って進まれるとよろしいのです。決してそうした生き方を非難するつもりはありません。ただし、もし「これでよいのだろうか。」と迷ったりしている人が居るなら「周りは周り。自分は自分。」と思い切って自分らしく生きる生き方にチャレンジしてみても良いと思います。

そして「よし!やるぞ。」と決心したのなら、周りの目を気にしてコソコソ行うのではなく、「私の選んだ道を進むのだ。」と胸を張って堂々としていてください。自分の人生なのだから遠慮してコソコソ行う必要など何一つないのです。人生は長い。もし無心で挑戦したことがが失敗に終わったとしても構いません。失敗に見合うだけの大切な学びを手にすることができます。色々体験してみて、最も自分に合った生き方を選べばよいのではありませんか。

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仏陀の神通力

みなさんもご存知の通り、お釈迦様は、多くの哲学者や宗教家の教えを受け、猛勉強して命がけで苦行にも専念しましたが、何年間もの間は、いくらがんばっても悟りを得られなかったのです。「手に入れたいと求めても得られないのだ・・・・。」がっかりしてなすすべを失ってしまうのですが、全てを手放し、大きな木の下で静かに瞑想し、精神集中が究極を越えて深まり、ここで初めて悟りを得て「仏陀=悟りの人」となられたそうです。それがどんな感じなのかは想像の域を超えませんが、体が消え去り全てと混ざり合った無重力の透明な空気になったみたいな状態のような気がします。そうそう、悟りを開きますと神通力というものが備わるそうです。知っておられましたか?お釈迦様は悟りを開かれた後、下記の六つの神通力を自由に使いこなされました。まるでSF映画みたいですね。

天眼通(てんげんつう)
ふつう見えないものを見通したり予知したりする力。
 
■天耳通(てんにつう)
人には聞こえない遠くの音を聞いたり、声なき声を聞いたりする力。

■他心通(たしんつう)
他人の考えていることや心の中を知る力。

■宿命通(しゅくみょうつう)
自分や他の人の過去や過去世を知る力。

■神足通(じんそくつう)
行きたい所へ自由にテレポートする力。

■漏尽通(ろじんつう)
神仏のみが持つとされる、一般人には理解不能の力。

仏陀が「不思議おじさんになりたい。」等と思って求めて得たものではなく、気がついたときには自然に開花していたわけです。一般の私たちがそう簡単に悟りを開くのは困難ですが、たたがむしゃらに求めても得られないという考え方や、自分から不要なものが落ちることの重要性についてはしっかりと心に留め置きたいものです。ここでは自然に「落ちる」というスタイルが大切で、人為的に「引きちぎる」と無理が発生します。何事も自然体が一番。

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気脈診とは




気脈診とは「気の脈を診る」という意味です。気は目に見えないエネルギーの総称、そして脈というのは繋がりや振動を意味します。

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